【経口補水液】
災害・救急医療における経口補水療法の可能性
富山大学大学院
危機管理医学教授
奥寺 敬
※出典:『大 薬報』2009年5月号(645号)より
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富山大学( 富山大学・富山医科薬科大学・高岡短期大学の 3 大学を再編統合 )大学院では、2005 年から「危機管理医学」という新しい分野をスタートさせた。この領域を初めて日本に紹介したのが、講座を受け持つ奥寺 敬教授。人材育成に携わるほか、これまでに長野冬季オリンピックの医療救護ディレクターとして医療計画を立案するなど、多くの大規模イベントの医療管理にも携わってきている。
今回は、奥寺教授に、危機管理医学の基本についてお話をうかがった。
危機管理医学とは
——「危機管理医学」とは、どういうものですか?
危機管理医学は、大きく 2 つに分けられます。1 つは、個のレベルにおいて負傷や急病が起きたときの救護対策で、もう 1 つが集団レベルでの災害医学です。前者には、応急処置や蘇生法など、後者には、
例えば、台風、地震、津波などの災害時や、多数の人が集まるイベントを行うときの救護対策などが含まれます。
欧米には「マス・ギャザリング・メディスン」という救護医療の考え方があります。私は、これを日本に紹介するときに「群衆医学」と訳したのですが、
多数の人が集まることが予想されるにもかかわらず、通常の医療施設がない場所で、負傷者や急病人が出た場合にどう対応するかという領域の学問です。
どんなときでも、傷病者は一定の確率で出現するものですから、イベント等の主催者は、多数の人が集まれば、病気やけがをする人は必ず出るし、死亡者も出るという認識を持ち、そのための対策を立てておく必要があるのです。
—— 主に高齢者や乳幼児が対象になるのですか?
以前、ある市で同時期に行われた客層の異なる 2 つのイベントの傷病発生率を比較したことがあります。1 つは子どもを含む家族連れが多く、もう 1 つは高齢者が多く集まるイベントでした。我々は、高齢者の多いイベントのほうが傷病発生率は高いだろうと予測していたのですが、実際には両者の傷病発生率に差はありませんでした。イベントに足を運ぶのは、ほぼ健康で元気な人たちなので、両者には差がないのだと考えられました。つまり、大勢の人が集まれば、年齢にかかわらず、一定の割合で傷病者は出るものなのです。
イベントを行う場合は、この一定のリスクを予測し、対策を立てなければなりません。これまでも、
救護所を設置したり、救急車を待機させたりすることは行われていますが、AED を何台配備するということから避難誘導路の確保まで、幅広く詳細に検討することが必要なのです。
—— 暑い時期には熱中症対策も必要ですね?
脱水や熱中症予防の対策は必須ですね。マス・ギャザリング・メディスンの教科書などには、「経口補水療法( ORT = Oral Rehydration Therapy )」について、管理者に徹底させることが必要だ、と書かれています。
例えば、2004 年 7 月に福井集中豪雨が起きたとき、
大勢のボランティアが現地に入りました。猛暑の中で働いたボランティアのうち、多くの人が脱水状態に陥ってしまい、救護所に運ばれ、点滴を受けました。
熱中症の予防対策として、早めに「経口補水液( ORS = Oral Rehydration Solution )」を使って脱水を防ぐということを徹底させることができれば、輸液を行う事態も減ると考えられます。ボランティアの人たちへ、事前にセミナーをするなどして、
きちんと情報を与えることが必要でしょう。
広がる経口補水療法の可能性
—— 都会でも熱中症で救急搬送される人が
増えていると聞きますが……。
最近、地球温暖化とかヒートアイランド現象とかいわれていますが、年々平均気温が上がり、環境が変化していることは事実です。東京では、2004 年・2005 年の夏季に熱中症の救急搬送が爆発的に増加し、
ほかの救急搬送が滞る事態が起きてしまいました。
熱中症といえば、暑い時期の運動や労働によって起こりやすいことが知られていますが、実際のところ、高齢者は日常生活の中で熱中症を起こすケースが多いのです。
高齢者の場合は、老化による身体的要因に加えて、トイレが近くなるのを気にして水分摂取を制限する、エアコンが苦手で部屋の温度が上昇、あるいはエアコンのかけすぎで湿度が下がりすぎるなどの要因も考えられます。余力がないため、ちょっとしたことで脱水を起こし、救急搬送されることになります。
そのほか、若い人では、学校の体育の授業やクラブ活動時などにも、熱中症を起こすことが少なくありません。
—— 予防法は浸透していないのでしょうか……。
熱中症に関しては、熱けいれん、熱疲労、熱射病などの分類や、日射病などという言葉もあり、一般の人にはわかりにくかったかもしれません。
いまは「熱中症」という名称が使用されています。
熱中症は 3 つのグレードに分けられ、Ⅰ度の症状は「めまい、失神」「筋肉痛、筋肉の硬直」「大量の発汗」など、Ⅱ度は「頭痛、気分の不快、吐き気、嘔吐、倦怠感、虚脱感」など、Ⅲ度は「意識障害、けいれん、手足の運動障害」「高体温」などですが、
必ずしも段階的に進行するわけではありません。Ⅰ度であればすぐに涼しい場所へ移動して、体を冷やし、水分・塩分をとります。Ⅱ度・Ⅲ度の場合は、
医療機関に搬送するのが標準的な対応です。
予防としては、環境の整備などのほか、「水分補給が大切」といわれます。しかし、正しくは「水分とナトリウム」というべきですね。
水分補給の内容については、専門家委員会でも議論の対象になってきました。水分を摂取していても熱中症を起こすという例が多いのです。この場合は、
真水を飲んでいるわけです。例えば溶鉱炉があるような職場では、大量発汗するため、脱水予防のために水と塩を備えてあります。こういうところで水だけを飲んだのでは、低ナトリウム血症になるというのを皆が経験的に知っていました。
通常の発汗ならスポーツドリンクで対応が可能です。しかし、大量発汗した場合の脱水状態には、ナトリウムや糖分がバランスよく配合された経口補水液が推奨できます。この脱水状態を回避することが、
軽症で救急搬送されるケースも減り、救急医療の負担を軽減することにつながります。
—— 災害時などの脱水予防はどのように考えればよいのでしょうか……。
災害時にはトイレの使用が困難なことが多いため、水分制限から脱水を起こしやすくなることも考えられます。また、災害用の備蓄飲料は真水なので、
それだけではナトリウム欠乏が起きる恐れが
あります。経口補水液を備蓄することも、今後は視野に入れる必要があるのではないでしょうか。
普段やっていないことはなかなかできないものなので、普段から経口補水療法について理解していなければ、災害が起きたときにもなかなか実行できないものです。各家庭に広めるためには、医師はもちろん、都道府県などの公的機関もきちんと対策を取ることが急務だと思います。都道府県の災害マニュアルにも、ぜひ経口補水療法について入れてほしいですね。日ごろから身についていれば、災害時にもきっと効果を表すはずです。