【経口補水液】
災害時のORSの活用 —ノロウイルスのアウトブレイクに対峙して
社会医療法人社団熊本丸田会
熊本リハビリテーション病院
リハビリテーション科・副部長
吉村芳弘
2012年10月取材時
医療法人八代桜十字 桜十字八代病院 診療部長
取材:河野久美子( あさま童風社 )
※出典:『大塚薬報』2013年3月号(683号)より
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1975年生まれ。2001年熊本大学医学部卒業。東京女子医科大学病院での臨床研修の後に済生会熊本病院、熊本大学医学部附属病院、熊本中央病院、桜十字病院等を経て、2012年9月より現職。専門は外科、リハビリテーション科。
桜十字八代病院は、病床数106床(一般病棟54床、療養型病棟52床)で、2012年9月に熊本県八代市に開設。医療・福祉の分野で、全国で事業展開をする桜十字グループが、熊本県南、八代地域で新たに医療・介護を実践する拠点。
吉村先生は、2011年の東日本大震災発生直後に宮城県南三陸町へ入り、医療ボランティアとして活動。そのとき、町民400人が避難する小学校でノロウイルス感染のアウトブレイクが発生したが、重症患者を出すことなく、10日で終息に導いた。
今回は、吉村先生に災害時における「経口補水液(ORS=Oral Rehydration Solution)」の可能性についてうかがった。
災害地に行って
—— リハビリテーションに携わるようになったきっかけは?
病院の性格にもよりますが、基本的に治療の前提は“栄養”と“リハビリ”だといつも思っています。この2つをしっかり行わないと、どんなに投薬しても優れた手術を行っても、患者の病状の改善につながらないばかりか、逆に悪化する可能性が高いのではないかと思います。この地域は高齢者が多いので、特に両者を同時に行っていくことが強く求められています。
—— 東日本大震災発生直後に、ボランティアとして、南三陸町に入られたそうですが、日ごろの診療が生かされましたか?
多くの被災者の診療を行いたい、と意気込んで入ったのですが、それどころではありませんでした。私は、NPO法人AMDA(The Association of Medical Doctors of Asia)の一員として、南三陸町の志津川小学校を中心に活動したのですが、現地はまるで戦場のような状態で、皆、毎日を生きることが第一というような状況でした。当時、約400人の被災者が小学校での避難生活を強いられていましたが、医療を行う前に、生活の基盤を失った被災者をどう支援するかという問題に直面しました。もちろん現地に行く前に、皆で勉強もしていましたが、現実とのギャップがとても大きかったです。震災前と同じように食事をしたり水分をとったりするとトイレに行きたくなって皆に迷惑をかけるからと、積極的な飲食を控えようとする高齢者が結構いたため、「しっかり食べて栄養をとりましょう、しっかり水分をとりましょう」という指導も必要でした。
また、物資が不足していたり、あっても運ぶ手段がなかったり、必要なところに届かなかったり、うまく進めるためのシステムが存在しなかったため、そのシステムを自分たちで構築しなければなりませんでした。ライフラインの断絶、ひどい衛生環境、栄養状態の悪化、運動不足による廃用症候群や深部静脈血栓症の発生、サルコペニアの進行、人口密集、心的ストレス……、医療環境として劣悪な状況でした。
災害という非日常は、いつも日常と隣り合わせだと思います。みなさんも一度は想像するとよいと思います。電気、ガス、水道なしでいつもの医療ができるでしょうか? もちろん病院も診察室もそこにはありません。周囲には逃げ場もなく、助けも来ません。現場で手持ちのカードで踏みとどまるしかありません。
—— そのような中で、どのように医療を進めたのですか?
体育館の控室を利用して、仮設診療所を作りました。昼間は、医師、看護師、薬剤師が複数常駐し、夜間はオンコールで24時間体制をとりました。高齢者はほとんどが慢性疾患をもっており、高血圧、糖尿病、睡眠障害が目立ちました。診察時に収縮期血圧が200mmHgを超えて平然としている高齢者や、随時血糖が500mg/dLを超えて若者に交じってボランティア活動を行っている高齢者に会って、とても驚いた記憶があります。また全ての患者のカルテが消失していたため、個々の患者から詳しく聞き取り調査をして薬の処方をしましたが、これまで服用していた薬が特定できず、迷うこともしばしばでした。幸いに、全国からある程度の医薬品が支援物資として届いていたため、薬効別に仕分けをして、とりあえずの薬は処方することができました。心身ともに落ち着かない避難所生活では、処方する薬を減らしてでもともかく飲んでもらう、という意味では降圧薬の合剤が役に立ったことは意外でした。
ノロウイルス胃腸炎のアウトブレイク
—— 避難所で、ノロウイルス胃腸炎が発症したそうですね。
ライフラインが途絶し、被災者が密集した避難所で感染症が発生することは、当初からの懸念材料でした。特にノロウイルス胃腸炎とインフルエンザの発症には、医療スタッフも神経をとがらせていました。しかし、震災から19日目、ついにノロウイルス胃腸炎の患者が発生しました。激しい嘔吐と下痢を訴える70歳代男性が仮設診療所に運び込まれたのです。ノロ迅速診断キットを支援物資の中から調達して、震える手で検査すると強陽性を示しました。その数時間後に受診した60歳代女性が2例目となり、その日を境に連日2桁の発症を認めました。陸の孤島で発生したノロウイルスのアウトブレイクです。あらかじめ想定はしていたので、1例目の発症がわかるとすぐに次の行動に移りましたが、できれば避けたい現実でした。
まず患者の治療としては、下痢・嘔吐で失った水分や電解質の補給が大切になります。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のガイドラインで第一選択として推奨されているORSを発症者全員に飲んでもらいました。事前に、水、塩分、ブドウ糖を用いた手作りのORSを作る準備もしましたが、既製品のORS(500mLペットボトルと200gゼリー)が避難所に支援物資として大量に届いたため、それを積極的に用いました。自分たちで作る手間も省けましたし、衛生的な問題で飲料水や紙コップの調達も被災地ではたいへんだったので、本当に助かりました。
—— ORSはどのようにして飲んでもらったのですか?
部屋の片隅にORSを常備して、患者がいつでも好きな時に自由に飲めるようにしました。もちろん、がぶがぶ飲むのではなく、少量ずつ頻回に飲むようにきちんと指導もしました。
徹底した早期治療が功を奏し、ほとんどの患者は重症化せず、数日で下痢や嘔吐が治まっていきました。避難所の中に仮設診療所があったので、すぐに診療、診断、治療ができ、素早く対処できたのもプラスになったと考えられます。
延べ70名が発症しましたが、点滴を行ったのは3例のみでした。被災者で発症した人の半数以上が65歳以上の高齢者で、体力も低下しているなど、悪条件の中、ほぼ全ての患者が重症化することなく、点滴なしに改善しました。
これは、最悪の事態を予想していた私や医療スタッフにとって、衝撃的な事実でした。ノロウイルス胃腸炎による下痢や嘔吐が長引いて脱水や電解質の喪失が起こると、高齢者では生命に危険がおよぶこともあります。死者も覚悟していた私たちにとって、ORSの飲用で患者が軽快していく姿を見ることは、うれしい驚きでした。医療機関では現在でも点滴による対応が一般的ですが、今後、ORSによる対応を日常の診療に生かせると確信しました。
—— アウトブレイクの阻止はどのようにして進めたのですか?
避難所は小学校だったため、4つの教室を提供してもらい、隔離部屋、観察部屋として確保し、患者に移ってもらいました。また、次亜塩素酸による手指、ドアノブ、手すりなどの消毒、トイレの洗浄と消毒、手洗いやマスクの徹底、出入りするボランティアの制限、啓発活動などを徹底して行いました。非常時の対策として、通常の胃腸炎の臨床ではほとんど用いない止痢剤も患者に服用してもらい、感染の拡大防止を図りました。
—— それで、感染拡大を防ぐことに成功されたのですね?
最初の患者が発生してから10日目に新規患者の発生がなくなり、アウトブレイクが終息に向かいました。振り返ってみると、一人の死者も出さなかったばかりか、重篤な患者も出なかったことは、劣悪な状況から考えると奇跡とも思えます。
—— 成功の鍵は何だったのですか?
医療チームだけでなく、地区の自治会長を中心に現地の若いスタッフなどとの協力体制がうまくいったことが挙げられます。それに適切な指導、資材があったことや、患者や被災者の人びとが協力的だったことなども挙げられますが、やはり最も大きいのはORSを患者がしっかり飲んでくれたことです。ノロウイルス胃腸炎を治そうという共通認識を、皆が持てたことも重要だったと思います。
—— 今後、災害が起こったときにも参考になりますね。
非常時の体液管理としてのORSの有用性を強く感じましたので、医療機関、避難所になる施設や学校などに、ORSを常備できたらいいですね。高齢者施設などにも常備してもらえば心強いです。高齢者のちょっとした発熱時の脱水にはORSはもってこいだと思います。ORSの有効性について、医療関係者だけでなく、一般の方や保護者などにももっと知ってもらいたいと思います。
今回被災地に入るにあたって、同行した看護師と二人で、100kgを超えるスーツケース4つに、医療資材のほか、大量の飲料水としてのペットボトルを詰め込んで搬送しました。もし次の機会があれば、半分以上はORSにしようと思っています。『次の機会』がないことを祈るばかりですが。
AMDAのメンバー
写真提供:桜十字八代病院 診療部長 吉村芳弘